著作権という破ってはいけない壁
誰もがカンタンに動画を編集、投稿することができるようになった現在でも、絶対に破ってはいけないものがあります。それはその「作品」に対する著作者の「権利」です。

電子データというものは恐ろしいもので、劣化させずに無限にコピーすることができてしまうものです。それらは市販されているソフトとはなんら品質にかわりがないもので、パッケージなどを除けばまったく市販と同等のものがインターネットを経由してコピー可能であるという、恐ろしい状態なのです。

それは動画から音楽に至るまで、電子化されたすべてのデータが当てはまります。本来であれば対価を支払うことでしか、それらを楽しむことはできないはずなのですが、普及した高性能端末と高速インターネット回線によってそれらはインターネット上を無限に飛び回るという由々しき事態に至ってしまったのです。これはそのまま「著作者」の収入に打撃を与える状態でもあります。著作物が販売され、販売された分だけ有している権利の分、配当を得るはずの著作者には、違法コピーで出回ったものに関してはまったく支払いなどはあてがわれないからです。

人の真理として、購入しなくてもインターネット上で探して見ることができるのであれば「良いか」という結論に至る場合の方が多いでしょう。その作品を見るために対価を支払うのは当たり前ではあるものの、それをしなくても同等のものを視聴することができるのであれば、それらのエンターテインメントに対して金銭を投じるのがバカバカしくなるものです。

そのようにして「本来はいけない」とわかっているはずの違法コピーはずっとなくならないまま、今日に至っているといってもいいでしょう。現在では、そのような違法なデータを配信した側も、それらを探し当ててダウンロードした側も、罰せられるのです。それらはすべてその作品で得られるはずだった「収益」を守るためのものであり、劣化させずにコピーすることができてしまう現代では著作者を守るための唯一の手段でもあります。

何かを作って人に楽しんでもらう。その楽しさ、カタルシスは、動画投稿を考えているあなたが抱いている気持ちと本質的には変わりません。そして、それ「だけ」に関わる「プロ」としてさまざまな作品を制作しているのだとしたら、それらによって生計を立てる必要があるのです。違法コピーの流通はそれら著作者の権利を阻害することでもあります。そのような状況を、物理的に縛る方法はないのですから、それはその作品に触れるすべての人が「モラル」を持ってその情報に接する必要があるのです。

電子データ化するということは、コピーが可能ということです。そのような技術の発達には、それらに関わる人それぞれのモラルも発達している必要があるのです。物理的にではなく、「違法データに接しない」という姿勢が、今はまだ大切なのです。それが世の中のエンターテインメントを守っていくことでもあるでしょう。