たくさん観てもらうことで収益を得る
人に見てもらうということは、「それ自体」に価値があります。人が興味を持って立ち止まるもの、多くの人の目に触れるものというのは、いつの時代も、どのようなものであっても、ある「価値」を持つことになるのです。

それは「広告的価値」です。人が多く集まる場所の看板、人通りが多いところに空いたテナント物件、多くの人が視聴しているテレビ番組、多くの人がアクセスするホームページ。すべてが広告的価値を持ったものです。それらのスペースに自社の広告を出したいというユーザーはとても多いもので、そのようなニーズとそれらの広告枠を合致させるのが広告代理店の仕事というわけです。

投稿した「動画」も例外ではありません。人がたくさん観る動画というものは、視聴率の高いテレビ番組と同様に価値があるものです。価値があるものは実際に広告を差し挟むことで「収益」を得られる可能性もあるのです。

個人がインターネットで稼ぐ方法として、インターネット修正依頼「アフィリエイト」という方法があります。それは現在でも活発なもので、広告主が期待する「成果」に達することができた時点で「課金」され、それが収益として還元される仕組みです。企業は期待する成果が発生するまで何も支払わなくてもいいので、とても有効な広告手段として重宝しているところも多いものです。

そのように、一般ユーザーの発信する情報を利用したプロモーションというものはインターネットでは当たり前のように行われているもので、それが「動画」に反映されてもなんら不思議はないということです。

たくさん再生される動画は、エンターテイメントとしても秀逸ですし、「広告スペース」としても秀逸なのです。ですから、そのような動画を投稿できたのだとすると、やりかたによっては収益を得ることが可能なのです。

ただ、ここで歪めてはいけないのは、「人が見たくなる動画」を投稿したい、つまり「収益を得られる動画を投稿したい」と考えるあまり、「著作権を侵害」してしまうということです。そのような動画を用いて収益を得るのはルール違反です。そのような動画は絶対にアップロードしてはいけません。

動画投稿サイトによっては、各動画が広告スペースとして適切かどうかを審査するプロセスもあります。そこで「不的確」と判断されてしまえば、その動画どころか、その動画を投稿するアカウント自体が「不適切なユーザー」として認識されてしまうことになるでしょう。そのようなことになってしまっては、そのアカウントでの収益は絶望的になってしまいます。

動画で収益を得るのは「結果として」というニュアンスでいることが望ましいでしょう。どのような動画が人を楽しませるのかということを考えることが、結果としては収益につながります。ただ、それを「収益ありき」としてしまうと、歪んだ道を進んでしまうということにもなりかねないのです。それでは意味がありません。あくまでも主軸は、「作品」であるということです。