日常の録画からクリエイティブなものまで
携帯電話が普及してから私たちの「当たり前」の行動が少し変化したように思います。それは「メールをする」、「電話をする場所を考える」、そして「写真を撮る」ということです。携帯電話を手にすることで、私たちは当たり前のように「写真」を撮るようになったのです。
そして現在主流のスマートフォンを手にするようになってからさらに当たり前になったのは、高度なネットサーフィンをどこでも可能になったことと、さらには「アプリ」を入れ替えながら用いること、さらには「動画」を撮影することでしょう。
スマートフォン端末本体の性能もさることながら、本体が有している「カメラ」の性能も格段に向上しました。私たちはそれらの機器を当たり前のように用いているのです。高度な演算能力、そして高度なOS、快適な操作性に、高精細なカメラ。そのような端末は10年前では考えられなかったものですが、現在ではそれらが「常識」なのです。そのような高度な端末を、自分の自由に用いることで私たちのモバイル生活はさらにフリーンシーを増し、クリエイティブな使い方から仕事、プライベートに至るまで思い通りのことができるようになったといってもいいでしょう。
動画投稿サイトにアップロードされる動画にしても、さまざまなものがあります。何気ない日常の一コマ、自分が訪れた美しい場所の記録、信じられないような出来事の記録、さらには凝った編集をして人を楽しませようとするものなど、実に多彩です。それらのひとつひとつが人の創造性の多様性であり、人が持つ感性、誰もが持っている感性の自由さの象徴です。詳しいパソコンの知識などなくても誰でも動画を撮影して投稿することができるようになっている時代です。投稿したくなければしなければよく、投稿したければシンプルな操作でそれが可能なわけです。そのような時代の自由さを、まさに動画投稿サイトは反映しています。
そして見たくなければ見なければよく、見たければ見ればいいという、「自分で選ぶ」という自由さを「視聴者」に与えていることも特徴です。自分が見たいものだけを見る、自分が知りたいものだけを知る、検索して探しだすということが常識になっているのです。
インターネットが登場する以前は、「メディア」というものはそれを提供する人が「用意したもの」しか私たちは受け取れませんでした。雑誌にしても、新聞にしても、テレビ、ラジオにしても、それを編成した人がいたのです。チャンネルを選ぶことはできても、その日、その時間に放送される番組を操作することは私たちにはできませんでした。そのような制限を超越したのがインターネットであり、動画投稿サイトです。投稿する側も、視聴する側も自由であること、それが動画投稿サイトの最大の特徴であり、現代を映しだした鏡です。自由であること、それが今の私たちの基本スタンスです。もちろん社会的な責任はいつの時代も変わることはありませんが、その脇で私たちは好きなものを見たり、見せたりすることが可能になったのです。