「音声」のボリュームを上げるためには
「動画」には「音声」がつきものです。長い映画の歴史をたどってみても、極初期に「音声」というものが映像に同期されたものです。私たちの五感のうち、視覚と聴覚は、普段から状況を判断するためにフル活用しているものです。

それらの視覚と聴覚を擬似的に作品ないに込める「動画」は、私たちが「没頭」できる仮想現実のようなものです。映画に見入る、作品に見入るということは、ただ映像が優れているだけではありません。その作品の映像と音声が織りなす「世界」に見入っているのです。その世界に没入できるということは、私たちが意識していなくてもその映像と音声がうまくリンクしていて、私たちが暮らす「現実の世界」とは違う世界を再現できているからということです。意識しなくても、私たちの感性は音声と映像のクオリティを判別することができるものなのです。

それは個人で撮影した動画においても同じことです。極端に音が割れている、あるいは極端に音が小さいものに関しては、私たちはその動画を再生した瞬間に「違和感」を感じることになってしまうのです。感じた違和感はそのままその動画に対する評価につながります。「ひどい音だった」ということでは、その後誰にもシェアなどしたくなくなってしまうでしょう。それがその動画への人が抱く率直な感想というわけです。

いくらプロではないとはいえ、その動画に収録された「音声」に関しては多少でも気を使った方が「得」をするというものです。結果としてその動画のクオリティを左右する重要な要素であり、いくら贔屓目に見ても人は自身の感覚でそれらを認識してしまうからです。そのような「見る人」に対しての「配慮」としても、動画の音声に気を配ることは意味があります。

スマートフォンなどで動画と音声を同時に撮影した場合、そこで収録される音声はスマートフォンの性能に依存します。そして周囲の騒音のレベルに依存します。周囲が静かであれば、撮影対象の音声はより正確に収録できることでしょう。逆に周囲が騒がしいようであれば、それはノイズとして撮影対象の発する音声を阻害します。

逆に撮影対象が十分なボリュームの音声を発することがでておらず、それがうまく収録できなかったとしたら、その動画のボリュームは小さいままとなってしまいます。人がインターネットの動画を視聴する環境というものはそれぞれではあるのですが、極端に小さい音声ではボリュームを最大にしても聞き取りづらいということも起こります。

そのような場合には、音声全体を大きく引き上げる「ノーマライズ」という処理が有効です。それらは動画の編集ソフトに依存する機能ではありますが、ソフトによっては「音声を最大化する」などという機能名称で存在しています。それはクリップ全体の音声ボリュームを「割れない程度」に引上げるものです。電子的にそれ以上引き上げることができないもので、そのような処理をほどこせば、人が聞き取りやすい音声の動画を作ることができるでしょう。