人が撮った面白い動画を観る心境
そもそもが、「他人が撮影した動画」のどこに面白みを感じて視聴するのかというところが疑問であるという人もいるのではないでしょうか。そのような「何が面白いのか」ということに対しては、人の好みという答えしかありません。

たしかに、動画投稿サービスが登場したばかりの頃は、何がそんなに楽しくて人が撮影した動画、しかも市販の映画やテレビで放送されているような整ったものではないものを見る必要があるのかと、誰もが思ったことでしょう。エンターテインメントとして楽しむのであれば、画質は良い方が良く、さらには音質も整っている方が良いに決まっています。それでも人が片手間で撮影したような動画がなぜ好まれるのか、人が撮影した動画は人を楽しませ続けてきたのです。

ただ、少し思い返してみましょう。私たちの日常の中で、テレビや映画で見るよりも奇妙なこと、リアルに発生するから面白いことが多々あるのではないでしょうか。みんなが一様に、同じ毎日を過ごしているわけではないですし、一般的な人の周囲で起こるすべてのことが退屈であるわけでもありません。日常で起こるから面白いこと、現実が作り物のエンターテインメントよりも面白いと感じることもあるのではないでしょうか。

私たちの性質として、それらのとても信じられないような事を「誰かに話したい」と思うのではないでしょうか。予想していないことが起こった、予想しているよりもすごかった、そのような「誰が聞いても驚くようなハナシ」というものは、口伝いに拡散していくものであるのです。それが私たちの真理、「口コミ」、「ウワサ」の根幹にあるものです。

一般投稿の動画というものは、それらの口コミに似ています。そのようなことが起こると、誰も思わなかった、そのようなことが起こると、誰も予想しなかったということをシェアしたいから、その様子を撮影した動画が投稿されるのです。そして、私たちはそれらを「本当だ、すごい!」と閲覧するのです。それが動画投稿によるコミュニケーションです。文章で書くよりも一見すれば何が起こったのかがわかる「動画」は、個人が情報を伝達するためにもっとも濃密な媒体といえます。

「ニュース」が動画で放送されるのは、ただ言葉でその様子を語るよりも、状況を撮影したものを放送する方が直感として意味がわかるからです。そのような「誰かに何かを伝える」という手段として、「動画」はその状況の音声とともに「無限の情報量」を込めることができるものなのです。だから、信じられないようなことが起きた場合に「思わず撮影してしまう」ということが成立します。人に伝えたいこと、筆舌に尽くしがたいことは、撮影すれば「記録」ができるのです。動画投稿とはそのような理由で存在しているものです。そのような理由があるから、人の動画を見るのが楽しいのです。誰かの周囲で起きた信じられないこと、それらを臨場感たっぷりに確認することができるのです。