人が求める動画とは
どのような動画を投稿すれば、人かこぞってそれを再生してくれるのでしょうか。どのような動画が人に好まれる、または興味を惹くのでしょうか。人の「ニーズ」とは、どこから生まれてくるものなのでしょうか。

そのようなことに「答え」を出すことはとても難しいことではあります。人が好むもの、人が見たいと思うものはその時々で違うからです。ただ、それを「気にし過ぎる」ということにもあまり意味はないように感じます。そのようなことを気にして、人が「見たい」と感じるであろう動画だけを投稿することに何か意味はあるでしょうか。もちろん、広告収入を得るという目的があるのであれば、「見てもらう」という機会を大量に稼がなければそれは叶うことではありません。

ただ、自分が面白い、自分が「シェア」したいと感じた動画を人に「共有」するということにはそのような「人のニーズ」などというものは関係ないのではないでしょうか。人は自分が見たい、知りたいということに対して「対価」を支払うこともあります。エンターメテイメントで収益を得ている人のことごとくが、プロとして人を楽しませているものです。プロとして評価される演技、評価される表現、クリエイティブを追求して、それで食べているのです。そのようなことでもない限り、「プライド」を持って人になにかを「見せる」ということはしないものです。

動画投稿の基本は、こんな面白いものがあると、世間に対して投げかけることです。それが著作権で保護されているようなものではもちろんいけません。そのようなものを人が見たいのは「当たり前」です。大切なことは「オリジナル」であるということです。自分が登頂した山から見えた風景や、何気ない日常で出会った不思議なこと、面白いことなどが基本です。あまり「人が見たいもの」を気にしすぎると、行き着く先は「人の作品」であったりするのです。人がプライドをもって、仕事として制作した作品を無料で視聴できるカタチにシェアすることなど、違法なのです。

動画投稿サイトではどのようなものが再生回数を跳ね上げるのか、わからないものです。それはその時によって違います。例えば先の震災時、さまざまな人がさまざまな境遇であの瞬間を経験しました。そして、それぞれの場所でその時の様子を記録していたのです。その記録はさまざまなところから動画投稿サイトにアップロードされ、あの瞬間のさまざまな場所での様子がシェアされているのです。そのようなことはエンターテイメントではなく、記録として残されたものであって、「楽しい」わけではありません。ただ、自分以外の人がどのようにしてあの時を過ごしたのか、多くの人が気にしているということです。そのようなことを踏まえると、動画投稿サイトの「意味」というか、「価値」というものも少し考え直せる気がするものです。「楽しい」ことだけが「求めている動画」ではないということです。人の興味は、無限に細分化されるものなのです。