動画視聴は人の娯楽
どのようなときに人は「動画」を視聴したくなるのでしょうか。どのようなときに動画を視聴してそれを楽しむのでしょうか。自分自身ならどのようなときに動画投稿サイトをご覧になるでしょうか。

人は「ただ生きているだけ」ではどうしても「つまらない」と感じてしまうものです。私たちは楽しいことが大好きで、退屈することが嫌いです。そのような私たちの心の癒やし、時間つぶし、話題のネタとして、世の中のさまざまな動画があるのではないでしょうか。私たちは動画を視聴することでその瞬間にさまざまな情報を入手します。自分では見ることができない情報、自分では知ることができない情報、話題の物事などさまざまです。それらを「知りたい」からその動画を見るのです。

そうです、私たちは「好奇心」というものを持っています。この好奇心こそが文明が発達した原動力、社会を牽引する原動力なのです。この「好奇心」というものはインターネット上の検索ワード、トラフィックに反映されるもので、それらによって「今どのようなことが関心を持たれているのか」ということを推察することができます。その動画投稿サイトで多く再生された動画はまさに、人の「好奇心」の鏡であるということです。私たちが人間である限り、動画投稿サイトはなくなりません。私たちが人間である限り、好奇心がなくならないからです。

そして私たちが作り上げた「社会」というものは、「コミュニケーション」によって成立しています。たとえ直接会話をしなくても、人が用意したもの、作ったものを使ったり閲覧したりすること自体がコミュニケーションです。人がアップロードした動画を閲覧するということは、それはそのままコミュニケーションなのです。動画投稿サイトは動画を介したコミュニケーションサイトということです。人が「面白い」と感じたものをシェアすること、人が「気になる」と感じたもの、「誰かに知らせたい」と感じたことをシェアする場としての動画投稿サイトが存在しているのです。そのような場に際して、私たちはさまざまな方法で、さまざまな興味でコミュニケーションをとっているということでしょう。

動画を投稿する人も、それを見る人も、その時何かに興味を持ったということです。その時何かが気になって、その時何かを知りたくて、そのような行動に出ているのです。それは私たちが映画館に足を運ぶのと同じ感覚です。ただそのフリーケンシーがとても広い、好きなものを、好きなときに、好きなカタチで閲覧することができるということなのです。

動画投稿サイトのことを考える際に絶対に外すことができないのが、このような「人」に関することです。どのような人がどのような目的でその動画を見るのか、どのような人がどのような目的でその動画を投稿したのか。それはその人の「好奇心」の源流を探ることでもあるのです。好奇心があるから、その動画がそこに存在しているのです。好奇心があるから、再生されるのです。それが、「娯楽」というものです。